遠くに見えるもの
日本では関東周辺が大型台風による暴風雨に襲われたとニュースで知りました。
皆様が大きな被害に見舞われていませんようにお祈りしています。
以前、このブログにも落胆した出来事と書いたと記憶してますが去年の10月にバリに来て1番辛かった出来事がありました。
その出来事によって自分の情けなさやダメさ加減、嫉妬心なんかが浮き彫りになり悔しくて悲しくて悶絶した反面、どんな想いをしたとしても今やっている事を続けて自分の中にあるものを形にしたいという想いがある事もはっきりくっきり見え、そしてどれだけ自分に対し、芸能に対し誠実でいられるかが問われた出来事でした。
でも、それは今、振り返ってみればという事ですけども。
その時、今までのやり方、考え方を変えて自分のやりたい事が現実となる方法を先ず考えようと思い実行しました。
一年が過ぎかなりの変化が起きました。
去年までは形に出来なかった、形にするにはどうすればいいかさえ解らなかったことが今、解るようになり、自分の中から何かが湧き上がって来ている気がして自分の変化が本当に素直に嬉しいです。
夢や願望は、実は自分自身は「叶う 」と知っているから想い描くのかも知れません。
願望を達成した自分の姿は遠くにあるように見えているかも知れませが、本当は自分の内に既にあるのかも知れません。
そしてその姿を信じて行動すれば、必要なものは与えられるような気がします。
9月21日の満月
明るい夜でした!
魂の輝き
先日、インドネシア独立記念日の朝、夫だった陽一さんが亡くなったと連絡がありました。
陽一さんは原因不明の脳炎が元で介護が必要となり6年近くお世話をしていましたが、色々あって離れて暮らす事になり、私はバリに来ましたので、最後を看取ることが出来ない事は覚悟していました。
が、やはり、このコロナ禍もあって1人家族に看取られずに亡くなったと思うと、悲しく寂しく不憫で涙が止まりませんでした。
が、泣いても仕方がないし、彼の冥福を祈ろうと思い最小限の供物を買い、海へ行きました。
独立記念日だからか海は家族連れで賑わっていました。
1人、浜辺で静かに祈りたかったので暫く流木に座って人が退くのを待ってから彼の魂がちゃんとあちらの世界にたどり着き、新しいいのちの始まりを迎えられるようにお祈りしました。
祈り終わってまた暫く流木に座って重苦しい気分のまま浜辺に置いた供物をぼんやり眺めていました。
ふと視界に光りのタマの様なものがチラチラと見えました。
これは陽一さんの魂ではないかと思いました。
そう思った途端、その光りはさらに強く温かい光りを放ち始めました。
私は初めて人の魂の輝きを目にしました。
そして、人の魂というものは、こんなにも美しく光り輝いているものなんだと知りました。
その光りは、苦悩や悲しみなどがなく喜びや至福に満ちているように感じました。
肉体の別れは寂しいものだけど、彼の今世の卒業と新しい始まりをお祝いしよう
と、私も何か晴々しい気持ちになりました。
そう思った途端、それまで波に飲まれそうになりながらも飲まれずにいた供物が、一度だけやって来た長く高い波に跡形もなく飲まれ海に消えました。
それは、神さまからの答えであるような気がしました。
魂こそが本質なんだと。
あなたも、私も、肉体という入れ物の中に隠れて見えないけれど、その魂は何ものにも負けない程の輝きを放っているのでしょう。
そして、その美しい輝きを信じて生きていていいのだと、そう思います。
自分ヒーリングは続くよ、どこまでも。
こんばんは。
昨日からバリ島ウブドは乾季というのに大雨でおまけに寒くて一日中パーカー着てます〜。
先日お知らせしました魂の輝きを取り戻すあのワークをやって以来、安心の中で過ごしていたのですが、昨日、久しぶりにモヤモヤが来ました。
何だこのモヤモヤ感は?と思い自分の中をぐるぐる駆け巡る言葉とワークの書き出した言葉のメモを比べてみました。
魂ワーク(だんだん名前が変わってる(笑))は周りにいた大人達の自分に向けられた言葉や態度がどんな影響を与えているか?を書き出し、その影響を受けた自分と本来の自分を分離させます。
そうする事で本来の自分に出会えるという仕組みなのです。
私は魂ワークメモを見ながらずーっと考えてみました。
ふと目に入って来たのが
『弟以外の家族全員が”生きることは辛くて苦しい。世界は恐ろしい場所だ”という信念を持っている』という言葉でした。
私の家族は何かを始める時には必ず失敗する事を考える癖があります。
例えば私がバレエを習いたいと打ち明けたとします。
すると、最初に言われるのが「それをやってプラスになる事は何か?」
次に言われることは「お金をかけて習っても何も習得出来なかったらどうするつもりか?」
という具合。
リスクヘッジを子供に求めすぎ(笑)
こんなだから、友達がやってる事で私もちょっと経験してみたい事を相談するのが本当に苦痛でした。
ちょっと経験してみたい事って誰でもあるし、そんなに大袈裟な事でもないと思うんですけど、我が家では「1億円の投資事業か?」ってくらいの大騒ぎになってました。
そして実際に継続不可になったりしようものなら「だから最初に失敗すると教えてやっただろう」と罵られるのです。
失敗っていうか、ただの経験なんだけどね、と今なら思いますけども。
中学生になったら父が単身赴任で渡米したので本当に辛かったのは12歳くらいまででしたが、結局、両親も同じように育てられ、そう考える事が当たり前になっていたんだと思います。
両親のそのまた親も、多分先祖代々、家族の中にある「そもそも世界はとんでもなく恐ろしい場所で、生きる事は辛くて苦しいものなのに、安心して生きるなんてとんでもない!!」という観念が ”安心して生きるための信念” になってしまっており、常に始める前から失敗について考えておこうと、それが傷つかないための防御反応の一つになってるんですよね。
そして、行動を起こす前に答えなど出るわけがないので延々と!!!「やりたいけど失敗したらどうしよう。あれがああなってこうなったらどうしょう」と考え続けるのです。
まるで、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものです。
そう、実はまさに私の状況がブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような心理状態だったんですね。
2020年の2月にバリに戻って来て以降、バリにいる本来の目的である芸能ごとのやりたかった事、学びたかった事、形にしたかった事が何一つ出来ないままコロナ禍の1年が過ぎ、やっと少し落ち着いて来たところでまたまたプチロックダウン。
さすがに凹みます。
なんていうか、体の中に停滞感が密やかに地を這うように存在しているのです。
そして、自分でも本当に無意識だったのですが、私ってばバリに来ることを選んだ自分の事を
『リスクヘッジの出来なかったバカ!!』
って思っていたんです。
いや〜2020年の初頭に世界がここまでこんなに大変なことになろうとは予測してなかったし、逆に出来た人ってどれくらいいるの?
落ち着いた今、現在ならそう思えますが、全くの無意識層にびっちりがっちり張り付いていた家族の教え。
自分ではどうしようもない事までもどうにかしようとして、もちろん上手くいかない事をまるで両親にされたことを繰り返すように自分を罵っていたんですよね。
そして、活動が停滞している自分に対して『バリに来た事は失敗』という烙印を密かに心の奥に押していたのでした。
確かに私には芸能の勉強をしたい、とか、バリ人と演奏したり踊ったりの経験を積みたいという強い想いはあるけれども、「バリで暮らせているだけでも充分幸せなんだよね」
という想いもあって、それも本当は相当なウエイトを占めていたんですよね。
「バリで暮らせてるだけでも幸せ」という感情のアクセルを全開にして今、ここにいることを感じ切る事に身を委ねて居れば、それはそれでこのコロナ禍という時期は人生に於いての貴重な素晴らしい時間に出来ると思うんですよね。
でも、どうやら私の中の『リスクヘッジの出来なかったバカ!!』 というキャラが気付けば自責する方向に意識を向かわせ、「いやいやこれは失敗でしょう」と自責のブレーキを踏ませていたのです。
このブレーキのせいで生き生きとした感情を感じられなくなり、結局その事が停滞感を招いていたのではなかろうかと思います。
生き生きとした自分の感情を味わうと、本当に良い氣が自分の中を巡ります。
そうなって初めて自分のやっている事が自分にとって価値あるものだと思えました。
魂ワークのおかげか、たまたまそういうタイミングだったのかは解りませんが、しばらくの間くすぶっていた一つの大きな不要の産物が昨日、浮上し、こうしてまた自分を癒す事が出来ました。
子供の頃の傷が癒される事なく大人になると、何度もその傷をえぐられるような出来事を自ら引き寄せてしまいます。
でも、時間がかかっても必ず癒せるし、何度でも生まれ変われると思います。
大事な事は自らを幸せにしようという気持ちだと思います。
最後まで読んで頂き有り難うございます。
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皆さま、お久しぶりです。
インドネシアは日本でもニュースになってると思いますが、大変な事になっているらしいです。
なーんでこんなに他人事みたいかと言うと、バリも一応、感染者増となっておりますが、私の周りはいたって平穏に過ぎておりまして、もしかしたら増えているのかも知れないのですが、実感が全く湧かないのです。
が、実感なくとも7月3日から軽いロックダウン状態。
で、暫し引きこもっておりますが、その間に面白いゲームを編み出しました。
自分の性格形成に多大な影響(どちらかと言えば悪しき方)を与えた大人をリストアップして、それぞれに名前をつけキャラクター化して、自分との関係性を俯瞰して見てみると?
見てみると?👀
最終的には
「あれ?私って本当はこんな人??
本当はこういうキャラなのー??」
びっくり自分再発見!!
私の魂の輝きを見つけた〜!!!
そんな喜びに浸るという衝撃の結果を待ち受けていました。
あれから数週間、驚くほど安心して生きております!
今まで生きて来てこんなに安心してた事があるだろうか?
世界はパンデミックだってーのに。
このゲーム、必要な方が結構いるのでは?と思い自分再発見ワークとして深めてみたいなと思いたち、モニターさんを募集する事に致しました。
はてさて、私のような衝撃的結果が万人にも当てはまるのか?
是非モニターになってあなたさまのご意見を反映させて下さい。
宜しくお願いします〜
オンラインセッションで
所要時間は約2時間
お問い合わせ、お申し込みはプロフィール内のメールアドレスからお気軽にどうぞ〜
ご連絡お待ちしておりますー
早くビーチに行きたいなー
ロックダウン的措置は8月2日まで(涙)
あなたへのメッセージ
久しぶりに届いたのでシェアします。
どなたかの助けとなったら幸いです。
「1度、あなたの全てに"満足"してみてはいかがでしょうか?
あなたの身の回りにあるもの、目に映るもの、手にしているもの、あなたの過去、今、あなたの全てにです。」
この言葉が聞こえた時、それは「手放す」事と同じなのかなと思いました。
手放せないのは執着があるから。
そして執着するのは恐れや現状への不満があるから。
かな?
意味もなく「これ、いいね!」と目の前のあらゆるものに呟いてます(笑)
満足していいんだな!という気持ちになって来ております。
乾季のバリは毎日雨です。
何かを洗い流しているような
雨上がりの光りが綺麗ですよー
ではまた。
またまたお久しぶりです
もう6月!
前回にアップしてから3ヶ月が過ぎてましたが、いろーんな事がありました。
前回も書きましたが、日々バリ芸能の先人達の魂へのサポートをお願いするようになってから、正にサポート&ギフトと思うような、出来事、出会いがありました。
そして5月!!
ほーんとに濃ゆいひと月でした。
一つ目のギフトはずっとやっているバリ版ミュージカル"Arja(アルジョ)"の太鼓の奉納演奏の依頼が久しぶりに来ました。
今までパートナーは師匠でしたが、今回は先生の義理の娘、つまり息子さんの妻と二人での演奏でした。
バリの楽器は殆どが2人で違うメロディ、リズムパターンを叩いて一つのそれらを作っています。
私は今まで師匠がパートナーだったので下手っぴーでも何とかなっていましたが、初の先生無し!!!
自分のgroove感の無さが顕になり、どうにかしなければーと焦りまくり。
必死のパッチになってるところにもう一つのギフトが。
友人達在住日本人で作ったガムラングループが練習場と楽器をお借りしている教室がデンパサール にあるのですが、その教室のバリ人女性ガムランチームに誘って頂き演奏をした事でした。
依頼から本番まで3週間もないのに4曲を仕上げると言う、鬼のようなお話しでしたので、なるべく目立たない楽器でと思っていたら、まさかの太鼓!!
太鼓はガムランの中では音楽的リーダーの楽器です。
おまけにやった事のない曲が4曲‥‥
そしてそのうち2曲はいつもやってるスタイルとは全く違う、叩き方も全くやった事のない大編成用の大きな太鼓でした。
大きな太鼓は、先ず音を鳴らす事自体が難しく、おまけにテンポも早く2人で一つのパターンを作らねばならないのに私ってばかなり足手纏いになってしまい日々落ち込みつつも、「落ち込んでる場合じゃない!」と自分を励ます日々。
大編成女性ガムランの本番の翌日はArjaの本番という、売れっ子みたいなスケジュール(笑)でしたので、Arjaの方の練習もやらねばで、ただただ毎日、8時間くらい練習してました。
もちろん本番で出来なかった、達成出来なかった事は沢山ありましたが、練習の過程で気が付いた事が沢山ありました。
色々な気付きがありましたが、1番は「今の自分が出来ている事、出来ていない事」が、とても明確に見えた事です。
これは、凄く重要な発見でした。
ただ闇雲に自分は下手たと思う事は意味がないし、かと言って「出来ていない事」は無視出来ません。
どちらも自分の成長には欠かせない視点です。
この発見と、そこに導かれた過程が与えられたギフトだと本当にそう思います。
本当に有り難い。
大編成ガムランの演奏の模様がyoutubeにアップされています。
よろしければご覧下さいませー
読んで下さり有難うございます。
ではまた!
意図より強いものはなし
お久しぶりの投稿になりましたー
私はスコブル元気でおります。
雨期も終わりに近づき昼間の暑さがハンパないです。
日本は桜の季節ですねー
淡いピンク色に染まる空間が懐かしいです。
色々あっても、自然界は淡々と季節が巡って行きますね。
バリは首都ジャカルタに続き、ワクちん接種が始まりした。
医療従事者、公務員、教員以外にも
観光客誘致のために、ウブド、サヌール、ヌサドゥアの観光地を感染者のいないクリーンゾーンにするために住民はほぼ強制的に集団接種の対象となりました。
(現在はサヌール以外は在住外国人は非対象です。)
イギリス製のこのワクちんは、接種する事でウイルスに感染した状態にし抗体を作るタイプなんだそうで、副作用として一時的に風邪の症状が出るらしく私の周りも接種後に寝込んでいる人が結構います。
短期的な副作用としてはそれらの症状があげられるのでしょうが、長期的にはどうなんでしょうか?
重篤な後遺症が残らない事を証明するものが何もない中、嬉々として接種を進める政府にかなりの疑問が。
予定では6月にインターナショナル空港が再開し、多分、ワクちん接種済みの条件付きで観光客の入国を再開すると思います。
世界的に接種を促進している目的は何かは判りませんが、国民の大多数が「早く普通に戻りたいから接種してくれ!」となる状況を意図して様々な"感染拡大予防対策"を行った結果、全くその通りに、少なくともこのバリではなっています。
話しは全く変わりますが、このひと月、太鼓、踊りなどバリ芸能の練習前に「バリの芸能家達の魂が助けてくれて、私が深い理解を得れる事」を祈ってから始めるようにしてみました。
そしたらば、「どうしたらこれが出来るようになるのか?」という疑問の答えが次々と、youtube(笑)やら、人の話しやら、色々方面からやって来るようになりました。
それも割と直ぐに。
1番驚いたのは、腱鞘炎になってる右手が治ったらもっとスムーズに動くんだろうけども、バリの病院や鍼灸で良い治療をしてる所を知らないし自力で治せないものか?と考えていたら、スマホにyoutubeのお知らせが来て、私へのおすすめの動画に「腱鞘炎を治すストレッチ」というのがあがってました。
早速やってみたらかなり軽減された上に、手のどこに意識を持って行けばもっと楽に手を使えるか?の目からウロコのヒントまでありました。
ありがたやー!
"祈り"は"意図すること"と同じなんだなと再認識しました。
自分だけでどうにかするのではなく、先人達のチカラを借りて理解を深める事を意図したから色々なチカラが助けてくれているのだと思います。
人間は、どんなに孤独に生きているように思えたとしても、1人で生きているわけではなく目に見える、見えない様々なエネルギーと呼応しながら生きていて、意識は出来なくても自力だけでなく、そこに在るエネルギー達、地霊やご先祖様や、動植物、太陽光、水、色んな存在からのチカラも借りて何かを成しているものだと思います。
バリヒンドゥーの儀式は正にそのエネルギーのチカラを借りる事で成立させているし、日々の小さな祈りの中にもその叡智があるように思います。
それは、とても当たり前の事なんだとバリで暮らして思うようになりました。
自分の枠、今までの人生や家族との関わりなどで出来上がった自分像を越えて、そこに在るものと共存する事を意識して日々を生きて行こう。
そして「意図すること」の強さを知った今、『世界中の生きとし生けるものが自ら輝き、自由で幸せに生きる世界を創造する事』を意図する事にしました。
良かったら是非、ご一緒に。
因みに腱鞘炎対策の動画はこちら↓
指の第3関節を意識するは目からウロコ!!
ではまた
明るくて暗い夕暮れ時は世界が影絵のように見えます。
美しいひととき